『普通』という名の 崇高な理想
今
目の前で起こっていることを
何とかしたいと思うとき
思いきって
真逆をやってみることも
ひとつの方法です
お子さんに
手だし・口出しをし続けてきたのであれば
あえて 見守ってみる
厳しく接してきたのであれば
優しさを持って接してみる
……という風に
実際に
ある方が
やってみてくださいました
~掲載許可をいただいております~
そして おっしゃいます
『子どもたちが何時に起きても
どう過ごしても
何も言わないでいます
だからといって
すぐに自発的に
きちんと何かをするわけでもない
でも
私の家族は「そんなもんかな〜」
と 思っています。
「そんなもん」でいいんだろうなと
いままで なんでか
自分のことを棚に上げて
家族に崇高なものを
求めていたんでしょうね(笑)
私は 私のやりたいことを
自分でやっていきます』
(”やめてみる”を含め)
ひとつ行動すると
それが『刺激』になり
自分に
新たな『反応』が生まれるのです
多くの方がおっしゃいます
「子どもへの
家族への
自分への理想が高い?
そんなことないと思います。
”普通”を求めているだけなんです」
でも
その『普通』が……ね(^^ゞ
のちに
彼女のおもう
「そんなもん」について
考えてもらうことにしました
……ということで
今日はここまでにいたします