*2/25 発売 

雑誌「サンキュ!」に掲載されました P105~

ふるさと

宮城県女川町の現在も

一部掲載されております

 

 

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東日本大震災での

母の苦しみは

いくつもあります

 

娘でも

 

家族でも

 

現場に居なければ

知りえないこと

わからない

気持ちがあります

 

 

そのひとつは

 

自分たちだけが

探しに来た家族と

逃げたという

被害者(被災者)なのに

加害者のような気持ち

 

同じ町で

共に支え合い

助け合ってきた人たちを

連れていくことができない

置いて行かなくてはいけない

 

無事を

確認しに来た身内の

一台の車に

乗ることのできる人数は

限られていて

 

あの人は乗せて

この人は乗せない

はできない

 

だから 

仕方なく

自分たち夫婦だけ……

 

逃げるという

本来なら

何も悪くはない行為

 

でも 

現実をみた母

皆の現状を

知っているから

 

「ごめんなさい」と思う

 

身勝手だったと

自分を責める

 

申し訳なさゆえ

町には

あまり行きたくない

行くことができない

 

町の人に

会ってはいけない

しばらくは

心を閉ざしておりました

 

大好きな

自分が育った町

 

何年も

精一杯働き

人間関係を築き

税金を納め

町の発展を願ってきたのに

 

最後に残ったのが

申し訳なさ

……だなんて

 

でもね

 

私と兄は

両親の人生と

家族への愛

頑張りを知っています

 

心から感謝しています

 

あなたたちがいて

私たちがいます

 

枯れた葉の中から

顔を出す 新芽

母が

「ダメかと思っていたら

枯葉に守られていたのね」と