あの時あった愛情見つけた

今日は 

長いブログになりそうです

 

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片づけの際

分厚い封筒を見つけました

 

雑誌社の名前があったので

「初めて出した

本のベースとして

書いたものかな?」と

取り出してみました

 

中身は 

本やエッセイにいただいた

たくさんのアンケート結果の

コピーでした

 

編集者の方々が 

はがきや手紙をコピーし

まとめてくださったのものです

 

せっかくだから 

見ようかな……と

そばに置き 

封筒から取り出して

チラチラ横目で見る

 

けれど なかなか

広げるところまでいかない

 

なぜか? 

 

怖いのです

 

過去 雑誌等に出て 

バッシングにあった時の

ザワついた気持ちが

再び心の中に広がっていく

 

昔のような

真っ黒でもないけれど

 

向こう側が見えるくらい

薄いグレーの絵の具が 

おおきな筆で 

ポンポンと心の中に

おかれていくような感じ

 

辛い気持ちは 

なくなるのではなく

心の中の引き出しに

しまってあるだけなのでしょう

 

それでも私は 

『しまう術』を覚えました

 

引き出しを開けて

向き合ったとき

過去の辛さも苦しさも

残ったままだけれど

悪いだけのものではないのよ

 

その時の自分が居て 

今に繋がっていると

自分に言い聞かせる方法も

覚えました

 

きっとこの経験も 

私が心理学を学び続ける

理由のひとつだと思うのです

 

どれも 過去のことだと

意を決して

アンケートを読み始めると

驚くほど温かい 言葉の数々

 

多くの方が 

ハガキに納まりきれないほど

小さな文字で 丁寧に 

感想やお気持ち

ご自身のことを

書いて下さっているのです

 

ひとこと「楽しい本でした!」も……

 

何枚かの手紙でお送りくださった方や

何度か 同じお名前も

 

初めて目にしたのは

パソコンで打った男性からの手紙です

「嫁さんと 二人で笑い

楽しませてもらいました

特別な毎日ではないのが

本当の家族の幸せだと感じました」

 

『あの時の私は 本当はあった

皆さんからのたくさんの愛に

気がつくことができなかったんだな』

つぶやいている自分がいました

 

当時は

100個の愛と

100個の誹謗中傷を

同じ分量だと

感じることができない

 

ネットでの批判なんて

「見なければ良い」

今ならそう思います

 

でも 初期の頃は

それができない

怖いもの見たさかな!?

 

私の場合 

年月が経つにつれ「またか」

「いいことなんてない 

もう見るまい」と

決意もできたのですが

 

今は

直接送ってくる人も

いるのですもの

自然と目につくでしょう

 

私は 

娘たちに危険が及ぶことが

怖くて仕方がなかった

 

過保護だと

思われたかもしれませんが

小学生のうちは 

何度も通学路の途中まで

迎えに行ったことがあります

 

心配を口にすると

『そんなに心配で気になるのなら

辞めればいいじゃない』

自分から遠い人ほどそう言いました

 

あくまでも 私の場合ですが 

家族・身内・友人たちは

そう言わず

 

していることを 

否定しないでくれたことが

自尊心を保つ理由になりました

 

中には 

危険もあるのに

ネット上で

反論してくれる友だちもいて

感謝の気持ちでいっぱいでした

 

私が立ち上がったきっかけは

「ママがパソコンの前で毎日

泣いてる」という娘の言葉を

身内から聴いたことでした

 

私の部屋を開け

泣いている母の後ろ姿をみて

何も言わず 

そっとドア閉めた

小学校低学年の

長女の気持ちを考えると

切なくなります

 

自分だけが

辛いと思っていたなんて

「気がつかなくてごめんね

急に強くなることはできなくても

ここから母をしよう!

母でいよう!」と思いました

 

あの時あった愛情を

見つけましたし

今もあります♡